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Re: 関東大震災ー日立市の場合

 投稿者:kurosawa  投稿日:2011年10月27日(木)06時11分27秒
返信・引用
  > No.20[元記事へ]

kurosawaさんへのお返事です。

> 1923年(大正12年)9月1日11:58関東大震災が発生した。三浦半島付近を震源とする地震であったが、茨城県日立市付近でも大きく揺れたそうで、未だ残暑が厳しく板の間で寝ていた家人はびっくりして起き上がった。大きな地震であることは分かったが詳細が分からないまま夜を迎えて、ただならぬ西の空の赤さを見た。大人達は東京の火災による大災害を想像して話し合った。当時4歳半であった父にも異常な社会状況が感じられた、との事であった。テレビどころかラヂオもなく新聞で状況を知ったのは数日後であった。東京は戒厳令がしかれた様である。それから数日間、当時輸送の担い手であった日立鉱山の馬車引き、馭者達が一稼ぎを目論み東京へ向かった、と云う。大正8年生まれの古老の話から。
> 今回3月11日の地震も停電で情報が伝わらず、関東大震災の震源域で発生したものであろうか、と当初想像していた。津波の事もあまり考えて居なかった。今回の地震の反省点として、何も地震情報が掴められないようなときは、海岸等や河川敷に居るときは津波が来ることを予想した対応が必要である。また建物や塀の倒壊、崖崩れ等も予想して、避難行動しなければならない、と思う。
> 今回日立市内で地震に遭われ、14キロメートル離れた自宅まで歩いて帰った知人によると、3時間あまりかかったとのことで、夕方から寒風が吹き未だ冬のような夜間を歩いた事になる。しかも、屋根瓦の瓦のかけら、大谷石等の塀が崩れた瓦礫が歩道を塞いだ箇所もあったろう中を、また停電で街灯も無く暗い中を歩き続けた事になる。火事だけが無かった事に感謝している。
> 家族が心配になったが、電話が使えなくなり自宅の様子が全く分からなかった。偶々auの蓄電池が動いていたので、従兄弟に携帯メールが通じた。付近の親戚等の家も外見上異常が認められなかったとの事で安心して職場に泊まった。通信の途絶は不安を掻き立てるものである、としみじみ思う。子供だけ、あるいは年寄りだけ残した場合もっと極端に心配に襲われるであろう。kurosawa
>
 
 

関東大震災ー日立市の場合

 投稿者:kurosawaメール  投稿日:2011年10月 6日(木)21時00分12秒
返信・引用 編集済
  1923年(大正12年)9月1日11:58関東大震災が発生した。三浦半島付近を震源とする地震であったが、茨城県日立市付近でも大きく揺れたそうで、未だ残暑が厳しく板の間で寝ていた家人はびっくりして起き上がった。大きな地震であることは分かったが詳細が分からないまま夜を迎えて、ただならぬ西の空の赤さを見た。大人達は東京の火災による大災害を想像して話し合った。当時4歳半であった父にも異常な社会状況が感じられた、との事であった。テレビどころかラヂオもなく新聞で状況を知ったのは数日後であった。東京は戒厳令がしかれた様である。それから数日間、当時輸送の担い手であった日立鉱山の馬車引き、馭者達が一稼ぎを目論み東京へ向かった、と云う。大正8年生まれの古老の話から。
今回3月11日の地震も停電で情報が伝わらず、関東大震災の震源域で発生したものであろうか、と当初想像していた。津波の事もあまり考えて居なかった。今回の地震の反省点として、何も地震情報が掴められないようなときは、海岸等や河川敷に居るときは津波が来ることを予想した対応が必要である。また建物や塀の倒壊、崖崩れ等も予想して、避難行動しなければならない、と思う。
今回日立市内で地震に遭われ、14キロメートル離れた自宅まで歩いて帰った知人によると、3時間あまりかかったとのことで、夕方から寒風が吹き未だ冬のような夜間を歩いた事になる。しかも、屋根瓦の瓦のかけら、大谷石等の塀が崩れた瓦礫が歩道を塞いだ箇所もあったろう中を、また停電で街灯も無く暗い中を歩き続けた事になる。火事だけが無かった事に感謝している。
家族が心配になったが、電話が使えなくなり自宅の様子が全く分からなかった。偶々auの蓄電池が動いていたので、従兄弟に携帯メールが通じた。付近の親戚等の家も外見上異常が認められなかったとの事で安心して職場に泊まった。通信の途絶は不安を掻き立てるものである、としみじみ思う。子供だけ、あるいは年寄りだけ残した場合もっと極端に心配に襲われるであろう。kurosawa
 

台風15号の被災

 投稿者:kurosawaメール  投稿日:2011年10月 5日(水)14時32分4秒
返信・引用
  2011年(平成23年)9月21日夕方、台風15号が関東に近づいた。豪雨を伴う台風で、茨城県も洪水の危険に見舞われた。3月11日の震災で防波堤、河川の堤防が傷んでおり決壊の恐れがあった。那珂川沿岸の水戸市、ひたちなか市、久慈川大子地区で氾濫の恐れがあり、避難勧告が出ていた。深夜になって久慈川の川口付近から神田町まで避難勧告が出た。午前1時半頃(深夜)からの話で、住民には寝耳に水の避難勧告であった。久慈川の堤防からあふれる恐れありとの事で、久慈浜の低地では、震災時の津波に次いで本年2回目の浸水であった。久慈町、児島、留、下土木内、上土木内、神田、茂宮、大和田町(田中内地区)が再び避難勧告を受けた。少し上流が常陸太田市で、堅磐町には何の知らせも無かったようで、久慈川への排水用水門を閉じなかったので、稲刈り直前の水田は水没してしまった。民家に浸水しなくて良かったが、あまりにも遅すぎる避難勧告であった。kurosawa  

茨城県の3月11日の震災被害

 投稿者:kurosawaメール  投稿日:2011年 9月30日(金)04時07分23秒
返信・引用
  茨城県は地震も少なく、台風の被害も少ない地域である、と云う言い伝えがあり、皆そのように信じていた。しかし、今度の地震では茨城県も震災被害が大きかった。そして、津波の大被害を沿岸部中心に受けた。さらに、福島の原子力第一発電所の事故では今も、さらに未来に渡って放射能の被害と恐怖が続くのである。茨城県の震災被害家屋は15万余と東北3県よりも多いとの事。地震に加え、液状化現象により、家屋の損壊、傾斜、屋根瓦の被害、塀の損壊が甚だ多かった。また、公共設備等でも、道路および関連施設、港湾、堤防、護岸壁、道路・団地等の擁壁、上下水道等、枚挙にいとまが無い。東海の原発も危なかった、と云う話を後になって聞いた。夏になって紀伊半島の各県の豪雨により、山林の崖崩れ、崩壊、洪水、堰止湖の発生等日本中危険な事ばかりが目に付くようになった。低地は、3月11日の津波で避難、今回の台風の大雨で避難と2回目の避難を余儀なくされ、ストレスが溜まってしまっている。津波でも、豪雨でも水門の管理がいま一つ有効では無いようである。これも、考慮すべきことであろう。現在も道路、橋梁の修理等が続いているが車の運転や、歩行にも気を付けなければならない。大きな被害は貴重な文化財にも及んでいる。茨城県ばかりではなく、東日本全体の現状であろう。3月12日長野県栄村付近に地震が発生、その後雪解け後、地震被害のさらに広がりを確認された。小集落はもとより村の存続の行方も心配になるほどの被害であった。道路、耕地、水路、そして民家から墓地に至るまで大きな被害が齎され、避難や立ち退きを迫られた家もあり、全国的に有名な住民互助組織にも崩壊の危険ありとの、報道である。国の財政的助成で一日も速い復興を望むものである。kurosawa
 

掲示板開設のお知らせ

 投稿者:kurosawa  投稿日:2011年 9月25日(日)01時01分47秒
返信・引用
  2011年(平成23年)9月25日掲示板開設しました。まだ構想が纏まっておりませんが、これまで調べたことなどを今後投稿してゆく考えです。どうぞよろしく。また、参考意見、指摘事項等ありましたら投稿願います。なお、個人を特定できる情報や個人に対する中傷などは禁じられておりますので、管理者はこのような事例が発生した場合削除させていただきます。  

掲示板が完成しましたキラキラ

 投稿者:teacup.運営  投稿日:2011年 9月24日(土)23時45分40秒
返信・引用
  ご利用ありがとうございます。

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