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天守閣の小夜姫つづき

 投稿者:龍3  投稿日:2003年 8月21日(木)23時48分5秒
      恐怖の能舞台(前)
     その三
  祝福の謡が続き、翁は舞う。
「千年の鶴は 万才楽(ばんぜいらく)と歌(うと)うたり
 又万代(ばんだい)の池の亀は 甲に三極を備えたり
 天下(てんが)太平国土安穏の 今日のご祈祷なり・・・」
「千秋万才(せんしゅうばんぜい)の喜びの舞いなれば
 一舞まおう万才楽(まんざいらく)」
「万才楽」「万才楽」「万才楽」
 華麗な能衣装のきらめきを目に映し、繰り返し呼びかけて来るような謡を耳にしながら、由紀之丞はいっとき、緊張がほどけ、陶然とした心地になる。だが、西浜藩のいまは、とうてい「翁」が舞い謡ったような、平穏な情勢にないのだと、すぐに苦い思いが湧いた。
 続く初番目の『老松』もまた、松と梅のめでたさを歌い上げ、
「千代に八千代にさざれ石の」
「巌(いわお)となりて苔のむすまで」
と泰平の世の続くことを祈願して終わった。

 花曇りの空模様は変わることがなく、能の上演も無事に続く。二番目の「敦盛」が済めば昼食となる予定だった。
「九重の雲井を出でてゆく月の 雲井を出でてゆく月の 南にめぐる小車の
淀山崎をうちすぎて 昆陽(こや)の池水生田河(いくたがわ)・・・」
流麗な道行(みちゆき)の謡に、観客が耳を傾ける中、由紀之丞は、台所方から呼び出されて、昼食準備に向かう。
 能見物の桟敷を抜け出そうとしたとき、不意に由紀之丞に低い声で呼びかける者があった。
「ユキ、忙しいようだが、すまんが話を聞いてくれ」
「黒川先生!」
無精ヒゲを伸ばしたまま、目ばかり光らせている黒川の必死の表情に、由紀之丞はただならぬものを感じ、本丸築地塀の陰に二人で身を寄せる。
「お前に渡された、あの和歌のことだ」
「おお、あの不思議な歌、意味が解けましたでしょうか?」
勢い込んで訊ねる由紀之丞に、黒川は、唾を飲みながら頷いた。
「恐るべきことが、判明したのだ。ユキ、頼む、すぐにこの能を中止させてくれ。さもないと大変なことが起きてしまう!」
 由紀之丞の腕を掴み、強く握り締めて黒川は懇願する。由紀之丞は当惑し、黒川の言葉を聞く。
「あの和歌は、沙世姫様の秘められた力のことを知らせてきていたのだ。それで、能楽、とくにあの、繰り返し呼びかけて来るような、謡とお囃子はいかん!あれは、沙世姫様の血の中に伝えられている、古(いにしえ)の巫女の力を目覚めさせてしまうのだ!」
ほとんど黒川は、絶叫しかけていた。
 


天守閣の小夜姫つづき

 投稿者:龍3  投稿日:2003年 8月22日(金)14時49分43秒
     恐怖の能舞台(前)
     その二
 めでたさを寿ぐために、最初に演じると決まっている「翁」に加えて、一日に五番を演じるのが、この時代の正式の能である。
 今日の演目を記した書付が、御殿に届いた。由紀之丞は上総介に見せる前に、どんな番組なのか調べてみた。

 「翁」に続く初番目は、「老松」
 二番目は、「敦盛」
 三番目は、「井筒」
 四番目は、「安宅」
 五番目は、「猩猩」、である。

 能にはあまり素養のない由紀之丞は、年かさの用人の一人に、どんな内容なのか訊ねる。
「どれも、こたびの祝いの席には問題のない曲ばかりだな。
『老松』は長寿を寿ぐめでたい曲だし、『敦盛』は敵味方だった平家の公達・敦盛と熊谷直実が死を超えて和解する話。『井筒』は名高い在原業平と幼馴染の女の契りを語るもの。『安宅』は、義経と弁慶が安宅関(あたかのせき)を越えるために苦心する、歌舞伎で言えば『勧進帳』じゃ。『猩猩』は、猿に似て酒を好む奇獣が親孝行者を褒めて舞うという、やはりめでたい曲じゃな。おどろおどろしく怨霊が登場する曲も、能にはあまたあるが、さすがにおさよの言い伝えのあるここで、そんなものを演ずる度胸は、おかかえ能楽師どもにはあるまいて」
白髪の用人はそう言って笑った。
 既に、能舞台を囲む桟敷には、藩士たちが着座し始めていた。正式な能の上演は、こうした慶事のおりにしかなく、一生に何度も拝めるものではない。どの藩士の顔も期待に満ちている。
 そして藩主・上総介もようやく御殿を出発し、能舞台に向かった。由紀之丞は、随行の面々を一人一人見つめる。稚児小姓は皆、見知った少年ばかりで、玲の姿は混じってはいない。
 曇り空だが、雨の降る様子はなかった。上総介は能舞台正面を臨んで緋毛氈に腰を据え、由紀之丞はその斜め後ろに着座する。藩主の隣には美香の方が奥女中を従えて座り、その横には世子・松次郎。さらに並んで、沙世姫。
 遠く望む沙世姫の横顔は、由紀之丞の目に、昨日にも増して艶やかに美しかった。
(いとしき女子を想え)
唐突に、師の空仁斎の言葉が脳裏に浮かび、由紀之丞は歯を食いしばる。そのとき、能舞台に、鋭く切り裂くような笛の音が響き、続いて小鼓が打ち鳴らされると、呪文のような声が挙がった。
「とうどうたらりたらりら たらりららりららりどう」
『翁』の上演が始まったのである。まだ翁の面をつけぬままに、翁役が謡い、地謡(ぢうたい)が
「ちりやたらりたらりら たらりららりららりどう」と和した。そして掛け合って謡は続く。
「所千代(ちよ)までおわしませ」
「われらも千秋さむらおう」
「鶴と亀との齢(よわい)にて」
「幸(さいわい)心にまかせたり」
「どうどうたらりたらりら」
「ちりやたらりたらりら たらりららりららりどう」
 
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おお、いよいよクライマックスですね

 投稿者:miyamo  投稿日:2003年 8月11日(月)21時59分24秒
  いよいよ、この能舞台でおさよが現れる?そんな予感も含みつつ、美香の方の動向も気になりますね。そして、やっぱり登場の鈴。う〜ん、いやが上にも盛り上がります。さすが、龍3様!!
そして、舞台で演じられる能と前出の和歌は何か関係してくるのでしょうか?
最高の盛り上がり方ではないでしょうか。続きがますます楽しみです。

 

天守閣の小夜姫つづき

 投稿者:龍3  投稿日:2003年 8月11日(月)00時17分45秒
 
 第八話 恐怖の能舞台(前)
     その一
 落花激しい桜の道を、由紀之丞は花びらを全身に浴びながら登城する。
 昨日のご対面を式とすれば、翌日の今日に用意された能見物は、披露宴のようなものと言っていいかもしれない。陪席する家臣は格段に増えて、藩の主だった者のほとんどが沙世姫に拝謁することになる。
 その席で、美香の方と加藤の一派が、どんな形で事を構えようとするのか、由紀之丞はずっとそれを考え続けていた。
「おう、ユキ、早いな。名誉の傷は大丈夫か?」
設楽主水正が肩を寄せて、語りかける。ほとんど治っていると答えると、設楽は気負った様子で話し続ける。
「あの加藤めらは、当面謹慎処分だが、なにを企んでいるかわからぬ。のんびり能見物などしている気分ではないなあ。どうだ、わしとおぬしでこれから加藤の屋敷に斬りこむか」
体格のいい設楽は、剣術道場でも腕自慢の方だ。勘定奉行の跡取りで、算用の道に励まなければならないのが不満らしく、何かに付け豪傑ぶって行動したがる。
「設楽どのとて、謹慎が解けたばかりではありませぬか。自重です、今は何事も」
苦笑しながら、由紀之丞は城門をくぐったところで設楽と別れ、御殿に向かった。
 それからは、小姓としての仕事に忙殺され、由紀之丞は何も考えるゆとりがなくなった。主君上総介の身支度に、能舞台の座席設営に、陪席する美香の方や奥女中たちとの折衝に、奔走を重ねるうちに瞬く間に能の上演が迫る。
 能舞台は、常設ではない。上演が決まると、本丸の天守閣横の広場に建てられるのだ。主君たちの御座所の点検にやってきた由紀之丞は、曇天の下にそびえる天守閣を見上げる。あの高欄に赤い花びらが散っていたのかと、しばし鈴の言葉を思い出す。そして目を地上に向けると、見物席設営にごった返す人の群れの中に、奇妙な人影を見つけた。
 さっきまでの由紀之丞と同じように、天守閣を仰いでいる姿勢である。紫の振袖に袴を着けて、腰に脇差を差しており、十一・二歳の少年かと見えた。小姓の中でも一番歳若の稚児小姓と呼ばれる数人は、そんな格好をしているが、その人物は頭に剃りこみをまったく入れておらず、ふっさりと豊かな黒髪を腰まで届かせていて、由紀之丞には見覚えがない。
(はて?誰ぞ新しく稚児小姓に・・・)
目を凝らした由紀之丞は、その横顔に、息も止まるほど驚いた。
(ま、まさか、鈴!!)
 急いで、駆け寄ろうとした由紀之丞は、同僚に呼び止められ、御座所の緋毛氈の敷き具合について相談されていらついた。再び目を向けたとき、鈴と思われる稚児小姓は、雑踏にまぎれて姿を消していた。
 

天守閣の小夜姫つづき

 投稿者:龍3  投稿日:2003年 8月 8日(金)00時34分57秒
   第七話 卑劣な罠
   その六
 突き技で由紀之丞を追い詰めながら、背中に万阿の手裏剣を受けて逃げた敵のことを、空仁斎は特に詳しく聞き、気をつけるようにと由紀之丞に告げた。
「おまえが敵の手足を両断できなかったのは、技の未熟よりも、優しさだ。それに比べて、仲間を先に立ち向かわせ、おまえの技を見極めてから、脇差への最も有効な突きで攻めてきたそやつは、非情で酷薄な使い手だ。おそらくはまた、対決しなければなるまいぞ」
 その言葉を心に刻み、由紀之丞は鏡山を下り、一散に家に駆けた。

 同じその時、円亜堂の自室で、古書や巻物を部屋一杯に広げて、黒川は不思議な和歌の解読を続けていた。
「とほつひと、は、遠つ人、であろうな。
まつらさよひめ、は、肥前の国にある伝説の、松浦佐用姫、である。
 つまごひに、は、妻恋いに、だ。
 ひれふりしより、は、領巾(ひれ)振りしより。
 おへるやまのな、は、負える山の名、ということだ」
解読を紙に書付けて、黒川は額の汗を拭う。
「松浦佐用姫は、すなわち、江戸から今ここに来られている沙世姫様のこと。そして、この歌に読まれた山の名とは、肥前唐津にある、鏡山だ。奇しくも、西浜城の南にも同じ名の山がある・・・ここまではすぐにわかったのだが」
黒川は、湯飲みを探して、冷え切った茶をのどに流し込む。
「古代に百済救援に渡海した将軍・大伴狭手彦(おおとものさでひこ)を慕って、鏡山に登り、領巾(ひれ=古代、女性が首にかけた細長い白い布)を振った美女・松浦佐用姫。
ついに悲しみのあまり、石と化してしまったという言い伝えもある。あるいは鏡を抱いて川に沈んだとも・・・さらには、日本武尊(やまとたけるのみこと)のため人身御供になった弟橘姫(おとたちばなひめ)のように、狭手彦のために海に沈んだとも・・・それが後代には奥州(東北地方)の各地で、大蛇の人身御供にされるために肥前松浦から売られてきた長者の娘小夜、となって、法華経の功徳で救われるとか・・・」
 黒川は猛然とまた、書物を繰る。食事も取らないために憔悴しているが、目は異様に輝き続けている。
「津村家が、お小夜伝説が、この地の鏡山と因縁があるというのか?あるいは鏡山に由々しき秘密が・・・」

 そして同じ時、ある屋敷の座敷で、加藤もまた、憑かれたように書面に目を走らせている。畳の上にいくつも広げられた古ぼけた紙には、いずれも金額と用途が記され、潮田屋の印鑑が捺されている。
「見事な出来だ。潮田屋が関根佳太夫に贈った賄賂の覚書としては」
「不始末をしでかして潮田屋を追い出された番頭の一人が、店の印鑑を盗み出していやしてね。偽造としては簡単極まりないものでございました」
職人風の身なりで、やせ細り、陰気な顔立ちをした男がぼそぼそと答える。その横で、飯島典膳が笑顔で頷く。
「これで、ご家老を斬ってからも、名目が簡単に示せましょう。失敗続きだったが、今度こそは」
 
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一番目の小夜雄

 投稿者:OHZII  投稿日:2003年 8月 6日(水)06時48分27秒
  「小夜雄」
今日からあたしが通う西浜中学校に生まれる新しい伝説の名前よ。そしてあたしは一番目の小夜雄になろうと決めた。あたしの名前は溝口。正真正銘の男よ。でも、男の子が好き。
特に男の子らしくて、少年の瞳を持った、そんな子が。そして私は今日、運命の男の子に出会ったわ。隣のクラスの唐沢由紀夫。一目見てぴんと来たわ。あたしの運命の人はこの人だって。

「小夜雄」の使命は3つ。
1 さよおは赤い糸をさよおの愛する相手に送る。(始業式の日。愛のメッセージ付き)
2 さよおは男を演じる。(普段は相手に自分の好意を気付かせちゃいけないの)
3 さよおは愛の告白をする。(これは3学期終業式の日。初めて相手の前に姿を現す。)

こうして1年間の切ない思いを相手にぶつけてうまくいけば、大いなる愛を得ることができる。ただし、失敗した場合は、次の年に繰り越しになる。そうして、3年間で相手を見つけられなかった場合は、次なる小夜雄を指名しなくてはならないのだ。

あたしは昼休みにこっそり、赤い糸を由紀夫君の下駄箱の中に入れておいたわ。彼、いったい、どんな顔をするかしら?楽しみだわ。

そして放課後。私は物陰に隠れて1年B組の下駄箱をどきどきしながら見つめていたわ。そして、ついに彼が来たのよ。あ〜もう、胸が張り裂けそうだわ〜。
あ、由紀夫君が靴に手をかけた。メッセージに気が付いたわ。

「だ〜れだ、こんないたずらすんのは?」
「あなたを一目見たその時から私の胸の鼓動は治まりません。だけど、あなたは私の気持ちに気付いてくれない。だからこうして手紙を書きました。手紙には赤い糸が結んであります。私とあなたの運命の糸が         さよお」
「さよおだってよ〜、男じゃん、さすが由紀、もてる男はつらいな!」
「よせよ、それにしても誰がこんないたずらを・・・」
彼はメッセージをびりびりと破いてゴミ箱に捨てた。あたしは胸が引き裂かれるような思いでその光景をボーゼンと見送ることしかできなかった。
あ、でも、待てよ・・。今は友達と一緒にいたから照れたんだわ。きっと。そうよね。友達に見られちゃそりゃあ照れるわよね。もう、かわいいんだから。
そうとわかれば、まだあきらめないわ。第1の使命は失敗したけど、これから、1年間アタックするしかないわね。見てなさい。今年の学年が終わる頃には私にめろめろの状態にさせちゃうんだから。

「小夜雄」
あたしの通う西浜中学に新たなる伝説が加わった。しかし、誰もまだそのことに気付いてはいない・・・

                          続く・・・のか?

>初めまして、かな。いつも「天守閣の小夜姫」楽しませてもらっています。いきなりこんなくだらない話を書いてしまって申し訳ありませんが、どうしても溝口の話が書きたくなったもので・・・お許しください。お馬鹿な話ですが、どうか大目に見てやってください。ウイルスなどは含んでいませんが、もしかしたら、あまりのくだらなさにあなたの心は破壊されてしまうかもしれません。そうなっても、作者はいっさいの責任は負いません。
 
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天守閣の小夜姫つづき

 投稿者:龍3  投稿日:2003年 8月 5日(火)01時01分24秒
 
  第七話 卑劣な罠
    その五
 玲を潮田屋に送り届けた後、由紀之丞は、帰宅の前にもう一軒だけ寄り道したい場所があった。
 城下町を抜け、南側にそびえる山に向かう。鬱蒼と樹木に覆われた、椀を伏せたようなその山は鏡山と呼ばれている。掘り出された古代の神鏡を御神体と祀った神社が山頂にあった。
 星明りの中、由紀之丞は参道を慣れた足で駆けるように登った。山頂の神社には、祠から少し離れて粗末な小屋がある。破れた戸から、灯明が漏れている。
「夜分に無礼とは存じますが、由紀之丞です。お師匠、ご報告したいことが」
 由紀之丞が声をかけると、灯明がゆれ、戸が開いた。痩せて小柄な老人が立っていた。髪は真っ白で、長い髯が胸に垂れている。神官を示す白い着物と袴を着けていた。
「真剣の立会いをしたな。刀を見せてみよ」
ひとめ顔を見ただけで、老人は由紀之丞に、そう言い、室内に招いた。由紀之丞が差し出した大刀、脇差を順番に抜き放ち、灯明にかざして、老人はじっと視線を刃に当てる。
「大刀は、一度だけ打ちおうたな。この物打ちのところじゃ」
しわばんではいるが骨格たくましい指が、微かに刃が窪んでいる場所を指した。
「敵の刃を噛み割った、見事な一撃じゃ」
老人は満足そうに微笑する。だが、脇差に目を向けると顔が引き締まる。
「よく拭ってはあるが、血脂(ちあぶら)で刃が曇っておる。しかし汚れは浅い。手足に斬りつけ、切断は出来なんだようじゃな」
「おっしゃる通りです」
由紀之丞は、敬服のまなざしで老人を見た。改めて自分が師匠と決めた男の非凡さに、誇らしい思いが湧き上がる。高揚する胸を押さえながら、由紀之丞は、典膳との立会い、刺客たちとの屋内での闘争を老人に語った。
「無我夢中というほかありませんでした。典膳と刃を交えたあとは、剣の柄に指が固まってしまいましたし、今日は今日でまだ、血が騒いで落ち着きませぬ」
 老人は静かに大刀と脇差を鞘に収め、由紀之丞の前に置くと、正座して真正面から由紀之丞の目を見つめた。
「男には、二種類ある。事に当たってためらわず剣を抜き放てる者と、そうでない者だ。侍であろうと百姓であろうと関わらずにな。おまえはやはり、抜ける者じゃった」
 由紀之丞は、師と仰ぐ老人の言葉に喜ぶが、相手の目がどこか悲しげなことに気づいた。
「それは、侍としては誇るべきことではあるが、人としては不幸になることが多いのだぞ。修羅の道が待ち受けている。それを覚悟しておくがよい」
「覚悟はしております。お師匠に教えを乞うたその日から」
 由紀之丞は、老人のもとに初めて訪れたときのことを思い出す。

藩の直心影流道場で、七歳から防具を身に着け、竹刀で打ち合う稽古を重ねてきたが、由紀之丞は、さして強い少年とは認められていなかった。どこか、由紀之丞には、竹刀が肌に合わなかったのである。密かに早朝の浜辺に出て、真剣を抜き、型の一人稽古を始めた由紀之丞は、ある朝、波に足を浸して立つ老人が、腰に差した刀で、ぶつかってくる高波の波頭を瞬時に十文字に斬り裂くのを見た。信じがたい抜刀の迅さであった。
 その老人が、篠原空仁斎(しのはら くうじんさい)といい、西浜藩においては、既に伝説と化している居合いの達人だと知った由紀之丞は、弟子にして欲しいと願った。
 ある事件を機に世を捨てた空仁斎は、鏡山神社の祠を守るだけを務めとし、家族も一人の弟子も持たない身であったが、由紀之丞の必死のまなざしに感じるものがあったらしい。数十日通い詰めて、弟子入りを嘆願した由紀之丞に、厳冬の雪の朝「では、わしの技を見て、盗むがいい」と言ったのだった。

 空仁斎は、お神酒を持ってきて、自分と由紀之丞のために、二つの杯に酒を注ぐ。
「血を見て、恐れと昂ぶりを覚えただろう。いつかこの日が来ることを、わしは待っていた。おまえのためを思うなら、この日が来ないほうが良かったのにな。剣士の業(ごう)じゃ。わしは、わしの伝えた技が、勝利を得たことを喜んでおる。おまえが勝ち続けて、わしの技が優れていたと証明されることを望んでおる。罪深いことである」
空仁斎は、由紀之丞に杯を渡す。
「飲んで、恐れと昂ぶりを散らせ。そして、いとしき女子(おなご)を想え。それだけが、斬り合いに猛った心を癒してくれる」
 思いもかけない師匠の言葉に、由紀之丞の頬に血がのぼる。狼狽を隠そうと、由紀之丞は一気に杯を干す。酒の上に、沙世姫の面影が映っているような気がした。
 
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天守閣の小夜姫つづき

 投稿者:龍3  投稿日:2003年 7月30日(水)00時23分40秒
   第七話 卑劣な罠
   その四
 由紀之丞は、上総介のもとへ戻り、報告する。既に寝巻きに着替えていた上総介は、佳太夫と加藤の対決を聞くと、乾いた笑い声を上げた。
「ははは・・・佳太夫がごり押ししたからのう。どこかで反発が噴き出すとは思うておった。前から江戸では経費節減で締め付けられるものじゃから、悪口は多かったが、刀の腕にかけてもという輩まで出たか」
 話の中身に驚いて、側用人が進言する。
「との、御殿で斬り合いが起こりかけたというのは言語道断の事態。明日にでも関根ご家老と加藤を呼びつけて査問いたしては・・・」
上総介は、あくびをしながら、側用人の言葉をさえぎる。
「捨て置け。今は沙世姫を無事に迎え、何事もなく江戸に送り出すのが肝要。それが終わるまで、何も聞かなかったことにする。国許の仕置きは国家老に、江戸のことは江戸家老に任し、予は『よきにはからえ』と言うておればよいのじゃろう?」
そして、上総介は由紀之丞に、いたずらっぽい目で言った。
「由紀之丞、ご苦労であった。早く下がって肩の傷を養生せよ」
 由紀之丞は、気づかれていないと思っていた負傷を見抜かれて驚き、平伏した。

 お城を出た由紀之丞は、少し迷ったが、関根家に寄ることにした。父はまだ戻っては居ないだろうが、兄の容態が心配だったし、自分の傷も、兄の医師に診てもらえると思ったからだ。
 玄関に、女物の草履があることに気づき、由紀之丞は首をかしげる。そして、兄の臥している座敷で、思いもかけない人物を見て由紀之丞は声を上げた。
「鈴!」
「あら、お帰りユキさま」
袖にたすきをかけた鈴は、寝床の上に起き上がった秋太郎に、粥を給仕しているところだった。秋太郎は照れくさそうに顔をしかめ、そっぽを向いたが、その顔色は由紀之丞が驚くほど回復している。
 安堵しながら、由紀之丞は隣室に居た医師に、傷を見せた。包帯を取ると、ほとんどふさがりかけて、膿む様子もない。
「まことに、今日の傷ですか?信じられませぬな、この治り具合では」
医師が不思議がっていると、鈴が覗きに来た。
「ユキさまは怪我をしたの?ダメでしょ、この大事のときに喧嘩でもしたの?自重しなくちゃ」
「男にはね、引けない喧嘩ってものがあるのよねー」
鈴の後ろから、浪人・溝口が口を出す。どうやら鈴のお供についてきているらしい。
「溝口さまから、男の話が聞けるとは思わなかったなあ」
「あたしはねー、男のことでも女のことでもよーくわかるのよ。あんたみたいなお子様の気持ちはもうわからないけどね」
にぎやかに喋る鈴と溝口の声を聞くうち、由紀之丞は一日の緊張がほぐれていった。

 関根家を一緒に辞した由紀之丞と鈴は、先に立つ溝口の、提灯の明かりを見ながら、しばらく共に歩んだ。
「あまり詳しくは言えないけれど、危ないことが続いているから、鈴はこんな遅くに出歩かない方がいいぞ」
由紀之丞が忠告すると、鈴も眉間にしわを寄せる。
「そうよねえ、もっと頼りがいのあるお供がいればともかく、どういうわけか溝口さまだし」
 溝口がふりかえって口を尖らせた。
「あら、失礼ねー、これでも剣術くらいは少し、やったことあるのよ」
「けんじゅつう?しょっちゅう刀を質屋に入れちゃうじゃない、溝口さまは」
いつもの調子で悪態の応酬になりかけるのを、由紀之丞は苦笑して聞いていたが、不意に緊張し、二人を手で制して前に出た。
「これはこれは、悪徳商人のじゃじゃ馬娘に、強欲家老の次男という組み合わせか」
暗がりの向こうから、野太い声が響き、すり足で近寄ってくる足音がする。
「町で評判の、女言葉の痴れた浪人もおるな。めざわりだ、まとめて掃除してやろう」
その声に、血に飢えた、という表現を由紀之丞は思い浮かべる。身構えながら、溝口に声を掛けた。
「提灯を、声のする方へ投げてください!」
 だが、溝口は思いもかけない行動に出た。
「だれかー!!たすけてー!!辻斬りよ、強盗よ!だれかー、たすけてちょうだい!!」
大声で叫びながら提灯を振り回し、めったやたらに走り回り、近くの武家屋敷の塀をどんどん殴り始めたのである。闇の中に居る敵からは、唖然とした声がした。
「あ、あきれ果てたやつだ。聞きしに勝る腰抜け浪人め」
 塀の向こうから、「なにごとだ」という声が上がり、さらに隣の武家屋敷の門からは、番人が様子をうかがいに顔を出した。そんな中、殺気が遠ざかっていくのを感じ、由紀之丞は大きく息をつく。その後ろで、鈴は溝口に食って掛かっている。
「あーみっともない、恥ずかしい。なにが、男には引けない喧嘩がある、よ!もう溝口さまなんかにお供してもらうの、いや!」
 
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天守閣の小夜姫つづき

 投稿者:龍3  投稿日:2003年 7月28日(月)00時35分45秒
  第七話 卑劣な罠
    その三
 奥向きに通じる廊下をゆっくりと歩きながら、上総介がすぐ後ろについている由紀之丞に、軽い口調で言う。
「そうだ、由紀之丞、黒書院に忘れ物をした。ひろうて参れ」
「は!いかなるものでございますか?」
「はなし、じゃ」
「は?」
聞き間違えたかと問い返す由紀之丞に、上総介は笑いながら小声で命じる。
「忘れ物は、佳太夫と、あの加藤とやら申す江戸詰めの者の、はなしじゃ。なにを話しておるか、予に代わって盗み聞きしてまいれ」
電撃に打たれた様に、激しく頷くと、由紀之丞は身を翻して黒書院に戻る。
襖越しに、佳太夫の怒りの声が響いていた。
「・・・何たる無礼であるか。こたびの婚礼を壊そうという不届きな振る舞いとしか思えぬぞ。いかなる所存であのようなことを申したか!」
 加藤の声はあくまでも落ち着いている。
「藩内においては、沙世姫様をお迎えすることを、了とせぬ者が多数おります。忌まわしき言い伝えと同じお名前であることは措(お)いても、あまりに家格の違う津村家から、多額の持参金付きで嫁取りをしては、津村家に今後頭が上がらず、わが藩の独立すら・・・」
「ええい!下郎の分際で、僭越きわまりないわ!即刻閉門を申し付ける。下がって沙汰を待つがよい」
「ご家老さま、それはなりませぬぞ。拙者は江戸家老、遠藤様の仕置きのもとにあります。ご家老といえども単独で処分は決められない法度ではございませぬか」
「なにを申す!ここは江戸にあらず、国許の仕置きは、わしの職掌である。ますます持って不届き千万」
 その時、思いもかけぬ声が割って入った。
「ご家老、なにもそこまで咎め立てすることはございますまい。加藤の申し条、確かに僭越なれど、藩士の気持ちを代弁しておりますぞ」
「吉田監物どの、これは甘いことを申される」
怪訝そうな佳太夫に、さらに別の声がなだめる。
「とにかく今は、お世継ぎ・松次郎ぎみのご婚約内祝いの最中ではないか。閉門などと騒ぎ立てるのは、沙世姫様にもご迷惑なこと。のう佳太夫どの、ここは穏やかに」
次席家老・恩田陸奥の、のほほんとした喋り方だ。意外な成り行きに由紀之丞は、そっと室内を覗いた。
 立ちはだかる関根佳太夫には、両側に供の侍が二人身構えている。その足元で正座して昂然と胸を張っている加藤彦三郎。そして彼の両側に、吉田監物と恩田陸奥がかばうように立ち、さらには、黒書院の開け放たれた出口敷居際に、数人の殺気だった侍が控えている。おそらくは加藤が引き連れてきた江戸詰めの者たちだ。
 思わず由紀之丞は、脇差の鍔に左手親指を掛け、居合いの腰になる。
 加藤がゆっくりと立ち上がった。無表情な顔に、薄く笑みが浮かんだ。
「ご家老さま、拙者の処分を決めるのもようござるが、ご自身の評判も気になさった方がよろしいかと。筆頭家老の立場をいいことに、あまりに専断独裁が過ぎ、しかも、さる商人との深すぎる付き合いが、疑いを抱かれておりますぞ」
 沈黙が流れた。由紀之丞は背中に冷たい汗が流れるのを感じた。敷居外の江戸帰りの剣客たちは、佳太夫が激昂し、加藤に実力行使するのを待ち、斬りこむつもりだ。大胆にも御殿の中を血に染めてもかまわないというのか・・・
「・・・ふ、わしも、なめられたものだな」
自嘲の笑いが佳太夫から漏れた。意外さに加藤の顔が戸惑う。同時に、それまでまだ片付いていない膳に座って、意地汚く酒を飲んでいた設楽門左衛門が、のんびりと声を上げる。
「関根ご家老、そろそろ不肖のせがれの謹慎を解いてくださるか?」
「うむ。よかろう」
佳太夫が頷くと同時に、黒書院の武者隠し部屋から、勢いよく数人の若侍が飛び出し、佳太夫に平伏すると、向き直って敷居外の剣客たちに対峙する。その先頭に立つのは、設楽主水正だ。加藤が顔面を強張らせて立ちすくんだ。
「加藤、この場はその無礼者たちを引き連れて去れ。追って沙汰を申し渡すまで、全員、屋敷から出るな」
佳太夫の静かな声が、黒書院を圧倒した。
 

天守閣の小夜姫つづき

 投稿者:龍3  投稿日:2003年 7月27日(日)00時05分41秒
    第七話 卑劣な罠
     その二
 前例のない行事であるため、さほど儀式ばったことはないが、挨拶をしたあと、藩主が沙世姫に杯を授けるのが、ご対面の要(かなめ)ということになっていた。
 沙世姫は敷居間際まで進み出る。上総介が持ち上げた杯を、小姓が捧げ持ち、敷居の上で沙世姫付きの奥女中に渡す。小姓は由紀之丞、奥女中は万阿だった。上総介は終始上機嫌で、何かと沙世姫に言葉をかけていたが、由紀之丞の耳には入っていない。自分の心の動揺にうろたえてばかりいたのだ。万阿が長い柄のついた銚子で沙世姫の杯に酒を注ぎ、沙世姫が口をつけるのを、由紀之丞は、悲痛な眼で見守った。これで、沙世姫は正式に松次郎ぎみの許婚となったのだった。
その後は、膳が運び込まれて宴となった。酒が陪席の面々にも下されて、謡(うたい)などの余興も行われ、座は和やかになる。由紀之丞は、ともすれば沙世姫を必死に見つめがちな自分を叱咤し、美香の方と加藤の様子に神経を集中した。
「津村様の江戸下屋敷は、麹町でしたわね。わらわはあまり山の手に行くことはなかったけれど、何度かお屋敷の前を通りましたわ。お庭に銀杏の木が高くそびえていたと覚えています」
美香の方は、同じ江戸生まれということで、沙世姫に親しく言葉を掛けているようだ。
「あの銀杏の木は、今も秋には立派に黄葉するのでしょうね」
その言葉に、沙世姫の眉が曇った。伏し目になり、つぶやくように答える。
「あれは、二年前に火事で焼けてしまいました」
「まあ、火事ですって?お屋敷は無事でしたの?沙世姫様もさぞかし怖い思いをされたでしょう?」
 美香の方の問いに、沙世姫は沈黙した。由利江が焦った声で代わりに答える。
「いえ、ほんのぼやで、姫様はもちろん、誰一人怪我をした者はおりませんでした」
「ほう、左様なことがあったのか?」
杯を重ねて頬を上気させた上総介が、話に興味を示す。すると、末席の加藤が、さりげなく言葉を挟んだ。
「二年前と申せば、拙者も江戸におりました。小耳に挟んだ噂ではその火事は、下屋敷がほとんど燃え尽きたとか。それをぼやとは、さすがに津村様は太っ腹であらせられる」
 佳太夫が背筋を伸ばし、加藤を見据えて、低いが重々しい口調でたしなめた。
「めでたい席に、火難の話題など、ふさわしくない。控えるがよい」
「これは失礼いたしました。それならば、お城に伝わる不思議な話などはいかがでござりましょうや」
無表情な顔に、口元だけに笑いを貼り付かせて、加藤が言い放つ。満座が静まり返る。その沈黙を破ったのは、涼やかな沙世姫の声だった。
「天守閣に住みついていると言う、おさよ、という妖しき者のことですか?」
声にならないどよめきの中、上総介がすこしいびつな笑顔で扇子を開き、自分を扇ぐ。
「ほほう、それまでも存じておられたか。見目麗しいばかりではなく、聡い姫君じゃのう。松次郎も釣り合うように己を磨かねばな」
無理やりという感じで、座の面々が笑いさざめく。話の接ぎ穂を失いかけた加藤は、強引に言い募る。
「さ、沙世姫様もご存知でござったか。まこと、われらが家中(かちゅう)には、姫様のお名前は深き因縁のあるものでしてな・・・」
 激しい舌打ちとともに、関根佳太夫が加藤を睨み据える。上総介が、咳払いをして言った。
「宴もたけなわじゃが、沙世姫には旅の疲れもあろう。そろそろ下がるがよいぞ」
 沙世姫が御守殿に戻り、宴も果てて、上総介、松次郎、美香の方は奥向きに退出する。主君に従って黒書院を出るとき、由紀之丞は、佳太夫が加藤を呼びつけているのをちらりと見た。叱責を受けているらしい加藤は、まったくの無表情で、底知れないものを感じさせた。
 
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