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天守閣の小夜姫つづき
投稿者:
龍3
投稿日:2003年10月 2日(木)15時58分31秒
第十一話 おさよ鎮魂
その一
炎の竜巻は天守閣に激突すると四散し、一瞬で消滅した。同時に雲間から射し込んでいた陽光が絶え、暗雲の下で天守閣は無数の火の粉をまとって妖しく輝いた。
「沙世姫さまが・・・見えない!」
走ってきた鈴は、最上階高欄を仰いで立ちすくむ。華頂窓や狭間から、火の粉が天守閣の中に吸い込まれ、たちまち煙が噴出した。鈴の後方で、美香の方が激しく叱咤している。
「沙世姫を天守閣から出してはならぬ!救いに行く者も斬り捨てよ!」
応!と叫んで、五人の剣客たちが砂を蹴立てて疾駆し始めた。三人は、沙世姫救出に向かおうとする設楽たちを迎撃し、一人は、鈴をめがけて突進し、そして残る一人、七瀬多聞は、再度溝口左京介と切りむずぶ。
「どきなさいよ!」
溝口の口調に余裕はない。鈴に迫る危難に、歯噛みしている。七瀬は微笑し、凄艶なまなざしでうっとりとつぶやく。
「あの娘を守りたいか?愚かな・・・剣でひとは救えないのだよ。剣とは凶器。敵を討ち、親兄弟をも断ち、ついにはおのれも滅してやまぬのだ・・・」
鈴は、刀を振り上げ、鬼の形相で迫ってくる武士を見て後じさり、天守閣入り口まで達した。足袋を履いたかかとが石段にぶつかり、尻を着いてしまう。腰に帯びた脇差を抜くことなど思いつかない。瞬きもせずに白刃と武士の顔に見入るだけだ。
いきなり、鈴は背後から肩をつかまれ、横向きに転がされる。倒れながら鈴は目の端に、由紀之丞の厳しく引き締まった横顔を映す。
「婦女子を殺害せんとしながら、なおも正義の士と名乗るか、おぬしらは!!」
叫んで脇差を突きつけ、由紀之丞は決然と前進する。大刀を上段に振りかぶったまま、鈴に迫ってきた剣客もまた、後には引かない。
「黙れ黙れ!妖しの姫と結託し、藩にあだなすやからに、なじられるいわれはないわ。この馬場忠之進(ばば ただのしん)、心正しからずば剣正しからずの心形刀流(しんぎょうとうりゅう)伊庭道場に学んだ。天に恥じること微塵もなし!」
頑丈な体躯に猛気をみなぎらせた馬場は、正面から唐竹割りに斬り下ろしてきた。紙一重で横にかわした由紀之丞の脇差が、下から跳ね上がって馬場の左肘を薙ぎ斬った。使えなくなった左腕をだらりと垂らしながら、馬場はなおも右手一本で由紀之丞の首筋を狙って振るが、かわされると、その手から刀が飛ぶ。そして痛手に耐え切れずうずくまった。由紀之丞は脇差を振りかざし、馬場にもう一撃加えようとした。
「だめ!やめて!殺さないで!」
叫んだのは、万阿に抱えられていた鈴だ。由紀之丞は、油断なく馬場を見つめながら間合いを置き、脇差を青眼に戻す。苦痛に歪んだ顔で、馬場は鈴に目を見張る。
「わしの・・・命乞いをするのか?わしが斬ろうとしたおまえが!」
信じられないという口調でつぶやいた馬場は、がっくりと肩を落とし、その体からは戦意が失せた。
設楽たちは、立ちはだかる三人の剣客に、脇差では対抗できず、数倍の人数なのに前に進めない。
「ええい!大刀を取りに行ったやつらは、まだ帰ってこないのか」
いらだって叫んだ設楽に、懐かしい声が聞こえた。
「正太郎、焦るな。無理に力押しをするのは、昔からのお前の悪い癖だ」
自分の幼名を呼ばれ、驚いて振り向く設楽に、関根秋太郎が、照れたような笑みを浮かべながら、鞘ごと大刀を差し出す。まだ顔色は青いが、表情は落ち着いていた。
秋太郎が援軍を引き連れて加わったのを見て、藩士たちは雪崩を打って関根側に付いた。美香の方と加藤の顔に焦りの色が滲む。
「松次郎様を、お放しください」
関根佳太夫が進み出て、静かに告げる。美香の方は狂気したように喚き返した。
「これで勝ったと思うておるのかえ?見るがいい、その方の頼みの綱の沙世姫は、あれ、ご天守とともに焼け滅ぶわ。わらわのもくろみは果たされる!」
美香の方の声に、由紀之丞が反応した。脇差の血を振り払い、鞘に収めると、天守閣に戻ろうとする。万阿がその袖を掴む。
「行ってはなりませぬ、ユキ!」「なにをする、万阿!」
争う少年と少女の姿に、美香の方が眉を吊り上げ、打ち掛けを脱ぎ捨てると、薙刀を抱えて走り出した。
「由紀之丞とやら、幾度もわらわの邪魔をしてきた名前じゃ、この手で討ち果たしてくれよう!」
天守閣の小夜姫つづき
投稿者:
龍3
投稿日:2003年 9月25日(木)14時52分51秒
第十話 真の小夜姫
その五
炎に圧倒されて人影がなくなった白砂の上に、なおも立ちはだかる数人が居る。美香の方と側近の千夏、加藤配下の剣客が、七瀬をはじめ五人。そして、それに近寄っていくのは、お世継ぎ松次郎を連れた加藤彦三郎だ。
「加藤、なんのつもりぞ!」
厚い人垣に守られていた関根佳太夫が、掻き分けて前に出て叫ぶ。加藤は松次郎を美香の方の隣に引っ張っていくと、振り向いて笑った。
「御幼君は、美香の方様ともども、われらの旗頭だ。わが藩の将来は、御幼君とともに我らの手にある。魔性の沙世姫がいかに妖しい力をふるおうとも、御幼君を害することが出来るかな?」
松次郎の肩を抱いた美香の方は、天守閣を指差し、甲高い笑い声を響かせる。
「沙世姫、よう聞くがよい!わらわがそのほうを殺めようと決意したは、実は津村家の意向によるものじゃ!魔性の子を持て余し、この西浜城で葬りたいというのが、そのほうの父君のまことの気持ち。さらには、その方が亡き者となれば、残りの持参金は払わずに済むからのう。わらわとて、おぞましき魔物が可愛い松次郎の嫁になるなど、身の毛がよだつわ!これは、わらわと、加藤たち家中の心ある者たちと、そして津村家が気脈と通じての行いぞ」
天守閣最上階の、白い顔は凍ったように動かない。だが、のたうつ火龍は、向きを変えた。まっしぐらに、天守閣を目指して、炎の竜巻は業火の舌先を伸ばしていく。
「沙世姫様・・・ご天守もろとも、自らを焼き滅ぼそうと・・・?」
黒川が肩を震わせる。鈴が、絶叫して、天守閣めがけて走り出した。
「そんなの、だめ!死んじゃいけない、沙世姫さま!!」
接近してくる竜巻の轟音が、脇差を掴んだ由紀之丞の耳にも届く。一瞬怯んだ宮茂だが、すぐに大太刀を垂直に振り下ろしてきた。由紀之丞が土間に身を回転させて避けたので、大太刀の切っ先は固めた土にめり込んで土くれを飛ばす。咄嗟に由紀之丞は、左手を地面に突くと、バネのように身体を伸ばし、右足で宮茂の向こうずねを蹴った。巨漢がよろめく隙に跳ね起き、分厚い胸板めがけて夢中で脇差を突きこんだ。
うおお、と吠え声を上げ、宮茂は大太刀を握った腕で、由紀之丞を払いのける。鞠のように宙を舞い、由紀之丞は塗り壁に激突して落下し、うめいた。
大太刀を振り上げ、倒れた由紀之丞に迫ろうとした宮茂の足がふらつく。苦悶の表情になると、左手で胸を押さえ、右手は大太刀を杖にした。そのまま背中を向けると、宮茂は天守閣芯柱の脇にある階段まで歩き、這うように昇り始めた。
万阿が倒れている由紀之丞に走り寄って、激しく揺さぶる。
「しっかりなさって!火の柱のような竜巻が、こっちを目指しています。逃げないと!ユキさま!・・・ユキ!立って!」
その叫びに、頭を打って朦朧としていた由紀之丞は、歯を食いしばって目を開ける。
「沙世姫さま・・・姫さまをお守りしなければ!」
ふらつきながら立ち上がり、階段に向かう由紀之丞に、万阿がすがりつく。
「だめ!行ってはなりませぬ!ユキは、私の・・・」
万阿の声を、外から響いてきた鈴の、渾身の叫びがさえぎった。
「沙世姫さま、あんたが死ぬ理由なんて、これっぽっちもないんだよ!どんな言い伝えのおさよもかなわない、凄い力を持った本当のおさよなんだ。こんな、お城のお侍がたの汚い争いなんかで、あんたが自害することなんかない!死んじゃ、だめだってば!」
その瞬間、轟然と天守閣が振動し、火の粉と共に吹き込んできた熱風が由紀之丞と万阿を土間に叩き付けた。
天守閣の小夜姫つづき
投稿者:
龍3
投稿日:2003年 9月24日(水)00時14分24秒
第十話 真の小夜姫
その四
竹でできた目釘は、柄(つか)と刀身を繋ぐ唯一の接続部品である。たちまち鍔元がゆるみ、刀身ががたついて柄から抜け出しそうになる。宮茂のふるう大太刀は、刃が蛤のように分厚く、とても鋭利とはいい難いが、それだけに刃こぼれ一つしていない。戦国武者が甲冑をつけた敵を殴り倒すために作られたものなのだろう。
容赦なく大太刀がうなりを上げ、由紀之丞の刀は刀身を曲げて、柄から弾けとんだ。残った柄を宮茂の顔面に投げつけて、由紀之丞は、倒れた達訓に飛びつく。その腕の付け根に刺さっている脇差を懸命に抜き取ろうとする由紀之丞の頭上に、宮茂の大太刀が振りかざされた。
まさに豪剣が落ちかかろうとした瞬間、天守閣入り口に人影が立ち、鋭く叫んだ。万阿の必死の声だ。
「ユキさま!火が天守閣に向かってきます!!」
本丸広場では、七瀬と溝口の凄絶な死闘が続く一方で、関根佳太夫を討ち取ろうとする剣客たちが、護衛の輪を破ろうとしていた。
黒川と鈴は、いつか寄り添って手を握り締めあい、その斬り合いと、天守閣に立つ沙世姫を、息を飲んで見守っていた。
「こんなの、こんなの嫌だよ。もう、やめてよ、沙世姫様も、やめるように言ってるじゃない!」
鈴が、絞りだすように叫んだときだった。
燃え盛る能舞台の炎が、不意に渦を巻いて天を突いた。ごおう!と風がうなり、砂塵を巻き上げ、能舞台の炎は、さながら火の竜巻と化したのである。のたうつ火龍は、闘う武士たちを火の舌でなめるかのように地上に接近する。その一部は関根佳太夫たちの居る一角に届いた。
悲鳴が上がり、何人かの武士が髷を焦がして算を乱した。混乱は、関根側に利した。傷ついた額を手ぬぐいで縛っている設楽が叫ぶ。
「今だ!囲みを破るぞ!」
加藤配下の二人が、頭髪を焼き、衣服に火がついて転がっている。それを乗り越え、どっと設楽たちが走り出す。中心に関根佳太夫を包んで、たちまち本丸出入り口まで達した。
美香の方が歯軋りをして、薙刀を掴んだまま、桟敷から飛び降りる。だが、炎の竜巻にあおられて、関根たちを追うことは出来ない。
「これは、なんぞ、魔の風か?まさか、あの魔性の姫が!」
たじろぐ美香の方は、天守閣を振り仰ぐ。沙世姫は、高く右手を上げ、その振袖が、まるで旗のようにひらめいている。
黒川が、大きく手を広げて叫んだ。
「松浦佐用姫が、ひれを振っているのだ!!これぞ、沙世姫さまの、真の力なのだ!恋しき大伴狭手彦(おおとものさでひこ)に焦がれ、肥前唐津の鏡山に登ってひれを振った姫は、実は風を招く巫女だったのだ。そもそも鏡山は、神宮皇后、玉蔓のいわれもある巫女の霊山なり。あの不思議な和歌は、沙世姫様の母方の家、月御門家に代々伝えられしその秘事を象徴するもの。火打石もなくして炎を点ずることのみが、沙世姫様のお力ではないのだ。いや、いま、沙世姫様は、神の意思を体現して、霊力を揮っておられるのだ!」
黒川の顔には、陶酔したような色が浮かんでいる。
炎は桟敷席にまで移り、本丸にいた武士たち、奥女中たちは雪崩をうって避難し始めた。互角に斬り合って勝負の付いていない七瀬と溝口も、火の届かない塀際に身を避け、本丸の闘争はほとんど消失した。
鈴が黒川の腕を掴んで揺さぶる。
「その、鏡山って、この近くにもあるじゃない!ユキさまがよく通ってる神社のあるお山!」
「そのとおりだよ、鈴。鏡山は、諸国あちこちに存在し、沙世姫様の巫女の血は、その、鏡の埋められた霊山に触発される。沙世姫様がこの地に来られたは、運命だったとしか言いようがない」
いえいえ(^^:)
投稿者:
龍3
投稿日:2003年 9月23日(火)21時00分8秒
>miyamoさん
出演してください!と勧誘しておいて、みんなをこんな目にあわせているわしですので、なんとも申し訳ないのです。お礼など言われると恐縮です。それでも、わしなりに渾身の力で書いておりますので今後ともよろしく。
格好良すぎです。
投稿者:
miyamo
投稿日:2003年 9月22日(月)21時25分45秒
宮茂、格好良すぎです。もっと情けない役でも良かったんですが・・・。それに実際の私は巨漢でもなくひ弱そうな男なんでなんか照れてしまいます。必要以上に格好良く書いていただいてありがとうございます。
天守閣の小夜姫つづき
投稿者:
龍3
投稿日:2003年 9月22日(月)13時27分51秒
第十話 真の小夜姫
その三
由紀之丞は、飯田が取り落とした大刀を左手で拾い上げ、右手には脇差をつかんだまま、天守閣の入り口前で、両瞼を閉じ、じっと動かなくなる。万阿が怪訝に思ってせかす。
「なにをなさってるの?早くしないと敵が沙世姫様を・・・」
「建物の中は暗い。目を慣らしておかないと闇夜のように見えるだろう」
目をつぶりながら小声で応え、由紀之丞は天守閣の内部に耳をそばだてる。確かに、木の板を力任せに叩き破ろうとする音が響いている。
「敵は二人だな?」「はい、仁王様のように大兵(たいひょう=大柄なこと)な者と、手槍(てやり)を使うがっちりした体躯の者と」
頷いた由紀之丞は、脇差の下げ緒を解き、半分に断ち切ると手探りで袴の裾をくくる。そして、がさがさに緩んでいた裃(かみしも)の肩衣を外し、大刀の先端にふわりと引っ掛けた。
数呼吸すると、するすると足音を殺して天守閣の開いた入り口に近づき、肩衣を掛けた切っ先を、ぐい、と内部の暗がりへ突っ込む。
「せええい!!」
裂帛の気合が走り、肩衣が激しく揺れた。瞬間、由紀之丞は大刀をこじるように回しながら、天守閣に飛び込んだ。突いて来た六尺(180センチほど)の槍の穂先に肩衣を絡め、押さえ込みながら手元に付け入る。必死に手槍を引き戻し、肩衣を振り払った敵は、小さく振りかぶって由紀之丞の頭上に第二撃を振り下ろす。由紀之丞は樫の柄を脇差で受け止め、そのまま大刀でまっすぐに突きを入れた。すばやく飛び下がった敵は横殴りに第三撃を放ってくる。広い土間で、天井も高い天守閣一階は、手槍を振るうにも不自由はない。十分に勢いの付いた槍の柄を受けると大刀でも曲がったり折れたりするだろう。
由紀之丞は咄嗟に宙に跳んだ。曲げた足の下すれすれを、風を巻いて槍が通過する。由紀之丞の右手から脇差が流星のように飛んだ。敵の左腕の付け根に突き刺さる。
「ぐお!」
痛手に顔をしかめながらも、敵はなお手槍を右手一本で振り、着地した由紀之丞の左こめかみを狙う。だが由紀之丞は大きく踏み込み、両手で掴んだ大刀で、敵の右肩を存分に袈裟斬りにしていた。
だん!と音を立てて土間に倒れた敵に、階上から呼び声が降ってくる。
「たっくん、どうした?!敵か?」
たっくん、と呼ばれた武士は、もがきながらうめき声を上げる。
「やられた!相手は、唐沢由紀之丞だ。気をつけろ、宮茂(みやも)・・・」
その語尾は力なくかすれ、男は顔を土間に伏せて動かなくなった。
「達訓(たっくん)!達訓弥之介(たっくん みのすけ)!返事をしろ!おのれ・・・」
怒りの咆哮が上がり、荒い足音が天井を揺るがす。階段の上に、巨漢が現れた。手には三尺を越す大太刀を握っている。
ずしり、ずしりと一歩ずつ踏みしめて降りてきた巨漢は、由紀之丞を見据えて吠えた。
「よくも、わが朋輩を殺めおったな。これで三人目か?あるいはもっとか。」
「三人?」
戸惑う由紀之丞に、宮茂は続けて浴びせかける。
「先に御守殿で、おまえに手足を斬られた鈴木源吾と小林蔵人(くらんど)は、剣を揮えなくなった身を恥じて、七瀬どのの介錯を受け、切腹して果てたわ!お前に殺されたも同然だ」
その言葉に由紀之丞は、動揺した。
「鈴木も小林も、その達訓も、心から藩を思い、関根一党の専横を除こうとした正義の士だった。仇はこの宮茂時四郎(みやも ときしろう)が討つ!」
豪剣を右肩の上にかざし、猛然と巨漢は由紀之丞に襲い掛かってくる。相手の勢いにのまれ、由紀之丞はほとんど棒立ちで、大太刀を飯田の刀で受け止めた。弾き飛ばされて、あやうく転倒しそうになる。息継ぐ間もなく宮茂の大太刀は斬りかかる。鎬(しのぎ)で受け流したりする余裕もなくまともに刃を打ち合わせた。火花が飛び散り、刃がおびただしく欠ける。そして、異様な手ごたえに、由紀之丞の顔色が変わった。
(しまった、目釘が折れた!!)
天守閣の小夜姫つづき
投稿者:
龍3
投稿日:2003年 9月17日(水)14時11分43秒
第十話 真の小夜姫
その二
爆発的な跳躍で、体重の軽さと得物の短さを補い、由紀之丞が両手打ちに振った脇差は、時辺の大刀を鍔元で叩き折り、胸元を斜めに裂いたのである。鮮血が噴き、たまらず時辺は膝を突く。振り向きもせずに由紀之丞は皆口を追った。
本丸広場の北端に天守閣はそびえている。まさに南中した太陽がまっすぐに光を注ぐ中、沙世姫は高く袖を掲げ、何事か一心に祈る表情だ。
巧みに植え込みや塀を利用して天守閣下に接近した皆口中弥は、冷徹に見越し角と飛距離を見定め、唾で濡らした指で風向き、風力を確かめて、弓に矢をつがえる。三本しか携帯していないのはよほど弓術に自信があるのか。
ゆっくりと弓を引き絞る皆口の横顔は秀麗で、瞳は少年のように澄んでいる。弓の構えは見事に完成された射形だ。阻止が間に合わないと知った由紀之丞は絶叫する。
「沙世姫様!!矢が狙っておりまする!!」
その瞬間、矢は放たれた。残心をとった皆口の顔には必中を確信した微笑が浮かんだ。銀の糸のように鏃(やじり)のきらめきが宙を切り裂く。
だが、上昇した矢は、まさに沙世姫の体に到達する寸前に、すい、とそれて、天守閣の窓枠に突き立った。皆口は歯噛みし、次の矢をつがえようとする。
「くそ、城の上には別の気流があったか、だがもう外さぬ!」
そのときに、ようやく由紀之丞は白砂を蹴り上げて皆口に追いついた。足音に振り返った皆口は、冷静に矢を由紀之丞に向ける。近距離からの矢は目で捉えることは出来ず、かわす時間もない。由紀之丞は射られることを覚悟し、そのまま突進した。矢で即死することは少ない、深手を負っても敵を切り伏せるつもりだ。
「ユキ様!」
思いもかけない方向から、少女の声が高く響いた。天守閣の入り口から、奥女中の矢絣を着た姿が走り出てきた。左手に、脇差を握り締め、右手には髷(まげ)から引き抜いた手裏剣を掴み、必死の面持ちで投擲する。針のような形の手裏剣には、距離が遠すぎた。力なく皆口の足元に落ちる。だが予想もしない攻撃にとまどい、皆口は矢を放つ機会を失った。全力で間合いを詰め、由紀之丞は走る勢いそのままに脇差で突き掛ける。
弓の弦がはじけ、激突した由紀之丞と皆口の体は折り重なって転がった。組み合ったまま、二人はもがき、先に立ち上がったのは皆口だ。けれど、その右肩を脇差が貫いている。握った柄に引きずられるように起きた由紀之丞が、口を一文字に結んで、刺さった脇差を引き抜いた。うめき声を上げて倒れた皆口は、激痛に気を失ったようだ。
「万阿!」
息を荒げながら顔を上げた由紀之丞は、天守閣の前庭に、幼馴染の少女を見つける。万阿は、彼女を追って天守閣から出てきたらしい武士と、脇差で戦っていた。
その武士は、左肩を血に染めて、右手だけで大刀を振っている。腰の鞘は、大刀も脇差も二本とも空だ。万阿に脇差を奪われ、負傷させられたのだろう。由紀之丞は、この武士を知っている。
(藩の直心影流道場で、かつて教授方の一人だった、飯田龍三郎!)
万阿は、敏捷で的確なわざを揮い、飯田を圧倒し始めた。彼女も直心影流道場で小太刀を習っているとは聞いていたが、これほど使うとは、由紀之丞も思っていなかった。もともとは人の良い風貌の中年男である飯田も、鬼神のような形相になって荒れ狂うが、ついに右小手を斬られ、刀を取り落とすと座り込んだ。
「無念だ!とどめをさすがいい!」
覚悟を決めて胡坐をかき、目を閉じた飯田の首に、万阿は顔色も変えず脇差を振り下ろす。刃が触れる寸前に刀を返し、棟(刃と反対側)で強く打撃した。飯田は朽木のように倒れた。首を斬られたと信じて失神したに違いない。
「怪我はないか」
駆け寄る由紀之丞に、万阿は頷き、息を弾ませながら告げる。
「御守殿に戻る途中で、三人の曲者に待ち伏せされ、沙世姫様と私が捕らわれて、ご天守に連れてこられたのです。二階の武者隠しに閉じ込められたのですが、窓からご本丸で騒動が起きたのを知り、隙を見て私がこの者から脇差を獲りました」
「沙世姫様は、なぜ最上階に?」
「私が、斬りあっているうちに、沙世姫様は、階段を駆け上って上蓋を閉め、鍵をお掛けになったのです。曲者たちは上蓋を破ろうとしています!」
天守閣の小夜姫つづき
投稿者:
龍3
投稿日:2003年 9月16日(火)12時59分57秒
第十話 真の小夜姫
その一
三層四階建ての天守閣、その最上階の高欄に、雲間から漏れた日差しが当たっていた。春の大気の中、塵が乱反射して、巨大な光の柱が天守閣に突き刺さっているようだ。そして照らし出されたそこには、窓から踏み出した一人の人影があった。
きらびやかな衣装に身を包み、長い髪を振り乱した白い顔に、唇をかみ締めている沙世姫である。円い光の輪に包まれているその姿は、地上の修羅場を見下ろし、怒りと悲嘆に暮れる慈母観音のように、気高く荘厳に見えた。
「なぜ・・・あんなところに沙世姫様が!」
由紀之丞が口にした疑問は、その場の誰もが思うことだったが、ただ、七瀬をはじめとする加藤配下の剣客たち、そして美香の方の表情に動揺が走っている。
沙世姫は、天を仰ぎ見るようにし、高く叫んだ。
「刀を捨てなさい!わたくしを口実にして、人を傷つけ、殺め(あやめ)ることは許しません!」
雷電に撃たれたように、多くの藩士がひれふすほど、その叫びには威厳があった。
だが、美香の方は昂然と頭を上げ、天守閣の沙世姫に挑戦の言葉を投げる。
「あれこそ、魔界の姫ぞ!恐れることはない、討ちや!」
「皆口中弥(みなぐち ちゅうや)、承った!」
関根家老に大刀を向けていた侍の一人が叫び、美香の方の長持に駆け寄って、半弓(はんきゅう=短い弓)と矢をつかみ出し、走り出す。
(天守閣の間近まで行って、沙世姫様を射落とすつもりか!)
灼熱の怒りと焦燥が由紀之丞の身を焼く。
「おっと、由紀之丞、おぬしの相手は私だ」
七瀬の長剣が、踏み出しかけた由紀之丞の行く手を阻む。だが七瀬もすぐには攻めてこない。沙世姫が矢で貫かれるのを見物しようといわんばかりの余裕で天守閣を横目で眺めている。
「いけすかないわねえ、顔も腕前も、自分が一番だって思ってるでしょ、あんた」
不意にからんできた女言葉の男の声に、七瀬が顔をゆがめる。その美貌に向かって放胆に斬りこんで来たのは溝口である。激しい太刀風に、さしもの七瀬が青ざめて飛びのいた。
「ユキ!お行きなさい!あんたの大事な姫でしょ!なにやってんのよ!」
溝口は、七瀬と真っ向から斬り合いながら、口うるさく喚く。
「しかし、その強敵は・・・」
「あたしに任せなさい!これでもね、威張るようで、嫌だけどね、ほんとは、武士も刀も、大嫌いなあたしだけどね、一刀流溝口派流祖、溝口新五左衛門正勝ていうのはね、あたしの五代前のご先祖なの!」
「面白い!その話、でまかせではないようだな。それに見合う腕前だ。私が戦うに足る相手は、由紀之丞だけではなかった。こんな良き敵にめぐりあうとは!」
七瀬は、心の底から嬉しそうに溝口に叫び、凄まじい気迫で大刀を振るう。
由紀之丞は、溝口に深く頭を下げると、弾かれたように、弓を持つ皆口という剣客を追った。
「やるまいぞ!」
由紀之丞の進路に、地味な顔立ちだが眼光鋭い武士が立ちはだかる。たすきを掛け、袴のももだちをとり、十分な身ごしらえをした、加藤配下の一人だ。
「退かれよ!・・・か弱き姫を射殺そうとする卑怯なやからめ、退け!」
憤激して由紀之丞は、脇差を八双に構え、突進する。
「卑怯とは心外!拙者、無外流免許皆伝、時辺久太郎貞近(ときべ きゅうたろう さだちか)、尋常に勝負だ!」
駆け寄りざま、共に八双に取った刀を同時に袈裟がけに振り下ろす。火花が散り、折れた刃が天高く飛んだ。
編集済
天守閣の小夜姫つづき
投稿者:
龍3
投稿日:2003年 9月14日(日)00時27分19秒
第九話 恐怖の能舞台(後)
その五
尻餅をついたままの鈴が、畏怖に強張った顔で溝口を見上げる。泣き出しそうになりながら、問いかける。
「溝口さま・・・溝口派いっとうりゅうって、どういうこと?・・・」
溝口は、血に濡れた刀を鈴から遠ざけるように、背中に回しながら、僅かに微笑んだ。悲しみに満ちた笑みだった。
「鈴ちゃん、そんな目であたしを見ないでよ。ずうっと、あんたと、馬鹿言い合って生きたかったわ。でもこんなことになっちゃったら、もうダメね。でも、あんたは、あたしの命に賭けて守ったげるわ!」
加藤配下の一人が、吠えながら斬りかかってきたのを、舞うような鮮やかさでかわし、溝口は猛然と反撃する。攻撃をよけると同時に前に出る、「出身(でみ)の秘太刀」である。
その時、燃え盛る能舞台の方角で、どよめきが起こった。橋掛かりを伝って火の手が達しかけた楽屋から、華やかな衣装の人影が走り出たのである。井筒の後シテだ。
「沙世姫様か!」「おさよがまた!」
叫びの中を、後シテは橋掛かりから飛び降り、白砂を蹴立てて走る。人波が割れ、後シテは倒れている飯島典膳にたどりつくと、必死の勢いでとりすがった。
「典膳さま!しっかりなすってくださいまし!」
若い女の声で叫ぶと、後シテは能面をかなぐり捨てた。どよめきがあがった。
「あれは、沙世姫様ではない!」
由紀之丞は、女の顔に見覚えがあった。
「・・・飯島典膳が町屋に構えていた家に居た人だ。たしか、およう、とか呼ばれていた・・・」
七瀬が、泣き叫ぶ女の姿をちらりと見やって舌打ちする。
「ち、そんなことまで知っていたとあれば、ますます、おぬしを生かしては置けぬな」
「あの異様な能が、あなた方の策謀なのは、もう明白だ。沙世姫様を、どこへやったのだ?」
由紀之丞が叫ぶと、藩士たちは顔を見合わせ、美香の方の声に従いかけていた流れが止まる。七瀬は薄笑いを浮かべると、一気に間合いを詰めた。その大刀の切っ先が、由紀之丞の視界から消えうせる。あまりの突きの速さに、目に映らなかったのだ。
完全に避けることはできなかった。由紀之丞の脇腹に鋭い痛みが走る。かまわず由紀之丞は脇差で、肉薄してきた七瀬の首を薙ぐ。僅かに頭を反らすだけでかわした七瀬は、下段から由紀之丞の腹に斜めに斬り上げてきた。迎え撃って垂直に振り下ろす脇差が、大刀にはじかれる。七瀬の凄まじい刀勢である。よろめいて後退した由紀之丞に、再び稲妻のような突きが襲いかかった。
苦戦しているのは由紀之丞だけではない。関根佳太夫を守る設楽主水正たちも、脇差で大刀に立ち向かい、早くも数名が傷ついている。
「これは、美香の方と江戸の加藤たちが仕組んだ、悪辣なはかりごとだ!彼らこそ、私利私欲で藩を動かそうとしておるのだぞ!」
死に物狂いで奮戦しながら、設楽は遠巻きにする藩士たちや、主君の耳に届けと叫び続けている。
七瀬の猛攻に、体制を崩しながら懸命に応戦していた由紀之丞は、視界のどこかで、何かが強く光ったのを感じた。
(天守閣の方角?)
「む!」
七瀬がまぶしそうに顔をしかめ、刀が止まる。一瞬、闘争する者たちを含め、本丸内の全員が、天守閣を振り仰いだ。
由紀之丞の全身に、名状しがたい衝撃が走った。
天守閣の小夜姫つづき
投稿者:
龍3
投稿日:2003年 9月12日(金)15時18分42秒
第九話 恐怖の能舞台(後)
その四
三人で御守殿を襲撃してきたときは、覆面をしていてわからなかったが、その男は驚くほど繊細に整った顔立ちで、月代(さかやき)を剃っていなければ女に見まごうばかりだ。背丈もそれほど高くはない。だが、その存在感は抜きん出ていた。蒼白になっていた典膳が、彼を見て目を輝かせる。
「七瀬多聞(ななせ たもん)どのだ!あの手だれにかかれば、お前の溝口派一刀流などかないはせぬぞ!」
七瀬と呼ばれた武士は、二尺六寸はありそうな長刀を苦もなく抜き放ち、剣客たちの先頭に立って進んでくる。その目は細められ、場内をゆっくりと見渡していたが、由紀之丞と視線が合うと、瞳に歓喜の色が沸いた。
「おぬし、唐沢由紀之丞、と申すそうな。先般のけりを着けようぞ!」
優しげな声で謡うようにつぶやいた七瀬は、由紀之丞めがけてすり足で接近を始める。他の剣客たちは、関根佳太夫を標的に刃を向けた。筆頭家老を囲んで護衛し、脇差を構える設楽たちとの間に、すさまじい緊張が走った。
小姓や近習たちの人垣に守られながら、本丸から脱出しようとしていた藩主・上総介が、悲鳴に近い叫びを上げる。
「予は、城内での刃傷など許さぬぞ、もし関根に非があるならば、審問の席を設ければよい。かようなやり方は・・・」
「眼をお覚まし下さいませ、との!この場を逃さば、関根一党を征伐することはかないませぬ。さあ、忠義の者ども、正義の刃を振るうのじゃ!!」
美香の方が上総介の言葉をさえぎり、凛呼として叫ぶ。側近の千夏が、長持の中から、柄を二分割した薙刀を取り出し、接続して美香の方に渡す。美香の方は鋭く反った刃を見事な手つきで旋回させ、号令した。
「かかれ!」
その声に、加藤と共に江戸から来た剣客たちばかりでなく、遠巻きにしていたほかの藩士たちの何人かまでが脇差を引き抜き、関根家老の一団に斬りかかった。
由紀之丞は、父を守りたかったが、目前に迫ってくる七瀬の凄まじい気迫を受け止めるだけで精一杯である。
一方、思わぬ成り行きに、溝口の顔はさらにしかめ面になっていた。典膳が、首筋に刀を突きつけられたまま、笑った。
「さあ、どうする浪人?いま刀を引けば、お前だけは見逃してやるぞ」
「これだから、侍の世界って大嫌いだったのよ。でもね、男には引けない喧嘩があるの。前に鈴お嬢様にあたし、そう言ったのよ。だから、もう、仕方ないわね」
「なに?何が、しかたないのだ?」
怪訝そうに訊ねる典膳に、溝口は今まで見せたこともない真面目な表情で言う。
「あんたも、ユキも、この藩の侍はみんな、ほんとの斬り合いを知らないのよ。だから、あたしが教えてあげる。嫌で嫌でしょうがないんだけどね」
その言葉が終わったとき、典膳が形相を変えてしゃにむに溝口に横薙ぎの一閃を見舞った。だが溝口は避けようともせず、ただ、手に持っていた刀をためらいなく典膳の首筋にめり込ませる。一瞬で体が硬直し、典膳の刃は溝口に届かない。信じられないという表情で目を見張ったまま、典膳はうつぶせに崩れ落ちた。
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