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お世話になりました♪

 投稿者:涼介ママ  投稿日:2017年 3月 9日(木)02時44分51秒
  今回も色々お世話になりました。
今年は天気にも恵まれ、涼介が思いのほか滑ってくれたので、私もボードを満喫できました。
涼介もすごい楽しかったと喜んでくれたので良かったです。
来年もぜひ行けたらと思うのでまた宜しくお願いします♪
 
 

3月に入りました

 投稿者:アンデスオーナー.ママ  投稿日:2017年 3月 8日(水)23時08分31秒
  スキー. ボードシーズンも1ヶ月をきりました
皆さん!思い残さずスキー.ボードをお楽しみ下さいね雪スノボスキー
皆さんのお越しをお待ちしております
 

2月建国記念日

 投稿者:アンデスオーナー.ママ  投稿日:2017年 2月11日(土)22時42分5秒
  スキーシーズンも半ばに入りました
雪が少なく始まり、この週は雪、雪雪です
夕方晴れ間が出てお客様も楽しんで頂けたかしら!?
気を付けて楽しんで下さいね
貴重な雪を楽しみましょう!!
平日は、アンデスオーナー、ママもスキーを楽しみます^^/
 

今シーズンも宜しくです

 投稿者:アンデスオーナー.ママ  投稿日:2017年 1月19日(木)22時49分41秒
  暖かいシーズンインでしたが、ここに来て例年の小谷らしい雪になりました。
嬉しいです^^
だんな様はゆっくりボード三昧ですね。
楽しみにお待ちしております
涼介ママ達は、3月楽しみにしております
皆様に宜しくお伝え下さい^^/
 

明けましておめでとうございます♪

 投稿者:涼介ママ  投稿日:2017年 1月14日(土)23時24分59秒
  今シーズンは暖かい日が続いてましたが、今週から大雪になりましたね。
月末に主人が一週間お世話になりますが宜しくお願いします♪
私たちは3月に行けたらと思っていますので、その時はまた宜しくお願いします。
 

正月

 投稿者:アンデスオーナー.ママ  投稿日:2017年 1月 2日(月)23時39分13秒
  2017年平成29年酉年
今年も雪には恵まれませんが、元気に新しい年をスタッフ、お客様、末娘ファミリーと
迎えられました。
今年も皆様に会えるのを楽しみにしております
皆様にとって実り多い良い年であります様に!!
本年も宜しくお願い致しますm(--)m
 

師走

 投稿者:アンデスオーナー.ママ  投稿日:2016年12月11日(日)20時46分31秒
  今年も残す所3週間となりました
本当に一年あっという間です
雪も降り順調にスキーシーズンスタート出来ます様に!!
 

霜月になりました!!

 投稿者:アンデスオーナー.ママ  投稿日:2016年11月 1日(火)16時13分52秒
  今年も残す所2ヶ月をきってしまいました
もうすぐスキーシーズンです
本当に1年あっという間です
歳月人を待たず!!光陰矢のごとし!!
大切に過ごしたいですね^^
           アンデスママのひとり言でした
 

俊さんの楽しい作文!!

 投稿者:アンデスオーナー.ママ  投稿日:2016年 8月16日(火)20時27分55秒
  俊さんありがとうございます
37年前の事を思い出しました。
“雪とペンションアンデスとみずぼうそう”
オーナーと、クスクスと笑いながら読みました。
ドラマや映画になりそうですね
とても楽しい過去、いえみずぼうそうは、大変でしたね。
37年前の俊さんにお見舞い申し上げますm(--)m

博多では、とても美味しいモツ鍋ご馳走様でした
あの後、中州をブラブラ歩いていましたら、熊本の大地震でビックリでした
お互い気を付けて、人生楽しみましょう!!
サムライのアドレス変えてみます
又会える日を楽しみにしております^^/
アンデスのメールアドレス andes@valley.ne.jp です


 

雪とペンションアンデスとみずぼうそう

 投稿者:永江俊一  投稿日:2016年 8月14日(日)12時09分15秒
  オーナー、奥さん、こんにちは。
先日博多に来られて久しぶりに再会できてうれしかったです。
居候の時のことを作文しました。登場人物は偽名ですけれども。

雪とペンションアンデスとみずぼうそう
熊本の大地震が起こる数日前のことだ。
「中丸ですけど、しゅん、今度会える?」と電話の声は言った。
「え、オーナー!?この前白馬で大きな地震があってかなり多くの建物が崩壊したと聞いて、オーナーのペンションは被害なかったかなって心配してたんだけど、大丈夫?」と僕は答えた。

この電話の主、中丸さんは白馬乗鞍の「アンデス」というペンションのオーナーで、僕が22歳か23歳の時に「居候」としてワンシーズンお世話になった方だ。付き合い無精な僕にはめずらしい30年以上も交信が続いているお友達。この人は僕のどこが好きなのかさっぱり分からないが、こうやって交友を続けてくれる奇特な人。福岡と長野県の白馬乗鞍では距離がありすぎるのに。

なんでもオーナーと奥さんが九州に旅行に来るので会えないか、という話だった。

○○ホテルで待ち合わせをした。末の娘がまだ小さい時にオーナーのペンションに遊びに連れて行ったことがあり、そのとき夫婦の娘さん(ちえちゃんといいます)に遊んでもらって、とてもよく懐いたので、娘も待ち合わせのホテルに連れて行った。ちえちゃんは来ていなかった。久しぶりに会うオーナーは少し白いものが見えて、あの頃からの年月の長さを知った。

ちえちゃん。ちえちゃんはもう立派な成人だけれど、僕がアンデスに居候をしに行ったときにはまだほとんど乳飲み子だった。

僕の大学生活は楽しくはあったのだけれど、毎日が合宿続きで、普通の学生生活ができないことに不満もあった。大学4年生となりはれてヨットの練習から解放されるや、意を決して12月中旬から翌年の春まで居候をしながらスキーざんまいをすることにした。なぜスキーなのかは分からない。就職も内定があったはずなのだけれど、どうするつもりだったのか覚えていない。軽薄にも、「もてるかも」と思ったのかもしれない。発売はそれ以降だったように思うけれど、ユーミンのサーフアンドスノーというヒット曲があったので、その頃、スキーは”いけてる”アイテムだったことに間違いない。(いけてるという表現がいけていないのかもしれません)

その当時、居候先はごろごろあった。居候というシステムは、ペンションでほぼ無償で労働する代わりに無料でタコ部屋に泊めてもらえるというバーター取引で、お金はないけどひまは十分という学生や今でいえばニートなどが供給者で、正規の人件費を支払うと経営が難しい個人事業の民宿、ペンションなどが需要者だ。

今であれば、ネットでペンションの建物とか調べ上げて、田舎出の朴訥な大学生の居候でも「うっかりもててしまいそう」なペンションに申し込むのだろうけれど、その時は雑誌でペラペラ少ない情報をたよりにするしかなく、開業したばかりというところが僕のへたくそなスキー技術でも受け入れてもらえるのではないかという思惑とはまり、「よろしくお願いします」とペンションアンデスの門戸をたたいた。

オーナーは駅に4駆の赤いジムニーで迎えに来てくれていた。無人駅だったかもしれない。白馬乗鞍駅は駅に着く少し前に木崎湖というきれいな湖を通ってたどりつく小さな駅だった。白馬乗鞍のスキー場につくと、となりに「獏(ばく)」というおしゃれなペンションがあったのだけれど、アンデスの建物はそれよりも少し粗末なペンションだった。僕がそのペンションの居候第1号だった。

ところがオーナーと奥さんは極めて気のいい人で、オーナーは大学生の僕とほとんど年齢が違わないほど若く、居候の私をとても歓待してくれ、前日の夜には近くの温泉に連れ、翌日はまだ雪が降り始めたばかりだから仕事の前に滑ってきていいよ、とリフトの一日券をくれた。

僕は九州は福岡の出身なので、また多くの関東の大学生が冬には軽薄なスキー遊びをしていたにも関わらず、冬は毎年部費と新艇購入のための上納金アルバイトをクラブから課せられていたので、スキーは極めてへたくそだった。

スキーはすごいスピードがでておもしろいな、と思っていると、転倒して頭をわった。血だらけになった。僕は結局居候のくせに仕事も開始しない先から寝たきりになって逆にオーナー家族から看病をしてもらうという情けない体たらくになった。その時に、ぼくにとても懐いてきたのが末っ子のちえちゃんだ。ちえちゃんは、みずぼうそうだった。僕は頭の負傷で仕事ができず迷惑をかけるだけなので年が明ける前にとりあえず福岡に帰った。頭の怪我が治癒したらまた白馬乗鞍に戻る予定だった。ところが、正月の日にものすごい高熱を発し生死の境をさまよった。救急病院に行ったところみずぼうそうだった。頭が切れて弱っていたので、赤子のちえちゃんのみずぼうそうをもらったのだろう。大人になってから罹患するとみずぼうそうは非常に悪化する。種がなくなるかもしれないと恐れた。僕の人生は理不尽でこんなに不幸続きで、自分はなんて不幸な男なんだろうと、ほんとうに涙がでたかもしれない。

そうして僕は居候として復帰するころには雪が解けた。

僕は就職し、広島県の呉に赴任した。ヨットがしたいために海沿いの町に来たのだ。これで勤務が終わった後は毎日ディンギーに乗れると踏んだのだけれど、会社が終わる夕方には決まって風が全くなかった。地元の人は「瀬戸の夕凪って知らんかったと」(と呉弁で)僕を笑った。だから会社にヨット部もなかった。やはり僕の人生はついていない。

僕は会社を辞めて再出発をした。当時の言い方で言えばヘッドハントといえると思うけれど、呉にそれほど遠くない広島の会社に働き口を得た。この会社に入社するときに、僕は無理を言って、着任まで長い間の間隔をとった。もういちどペンションアンデスで居候をやりなおす約束ができていた。

ペンションは最初に僕が行ったばかりのころの出来たてではなくて、もうすでに開業後数年経ち風格を備えたペンションになっていた。ちえちゃんはほんの数年の間に大きくなっていて、薄情にも僕のことを覚えていなかった。

居候はたいていは大学生とか専門学校生とかが多いので、僕は彼らにとってはすでに少し年上で、そして歴代の居候第1号の先輩という経歴(仕事はほとんどしなかったけれども)とすでに社会人ということもあり、私を「しゅんさん」とさん付けで呼んでくれた。僕が居候(やり直しの居候時代)をしたときのこの愛すべき若者の居候仲間は「タケちゃん」(男)と「ルミちゃん」(女)。大阪と名古屋の子たちだった。タケちゃんは大阪人らしく話上手で、しんどすぎて滅入りそうなときは必ずみんなを笑わせる人のよさを持っていた。ルミちゃんは小柄な子で、目じりがきりっとした潔い顔立ちの子だった。名古屋の人の特徴なのかもしれないと思った。

同じ釜の飯を食った仲間という表現があるけれども、僕は彼らに対してヨット部の仲間と同等いやおそらくはそれ以上の愛着を感じた。彼らも僕によくなついた。スキーの腕はおそらく僕が一番へただったのだけれど、なんとなく僕は彼らのリーダーだったかもしれない。

居候の仕事は極めてつらい。朝の4時ころに起床し、掃除、朝ごはんの準備、宿泊客の朝食の給仕と続き、昼前からレストランの昼食の仕込み、厨房の手伝い、また給仕、食器洗いと休む暇もない。風呂の掃除もきつい。環境が厳しいほど仲間の団結心は強まる。厳しい労働環境の中で僕たちは互いを助け、気遣い、信頼し、博多弁を卒業した関東弁の僕と大阪弁と名古屋弁が快適に混在した。ベッドメーキングはペアでやるのだけれど、○○を見つけて笑い転げたことがあった。僕らはいつも明るさを持ち続けた。

ペンションアンデスは白馬乗鞍のスキー場のゲレンデのまん中にある。ペンションのレストランの前がゲレンデの中腹くらいで、店の前から雪山の稜線が遠くに斜めに続く。この真っ白な稜線を前面いっぱいに見渡せる場所がアンデスにはあった。コーヒーをたてるカウンター。僕は毎日このカウンターを占領し、朝のコーヒー係を決め込んでこのコージースペースに居座り、20度くらいに傾いた稜線にぱらぱらと生える木を抱える真っ白な雪とどこまでも続く青空を映したこの世の美しさをスルッと切り取ったような白馬乗鞍の風景画をあかずに楽しんだ。この場所を勝手に占領する僕に対して彼らは何らの異議も唱えない。背景にはいつも山下達郎の曲が流れていた。そういう時代だった。

一日中仕事詰めの毎日であるけれども、時にはオーナーが滑ってきていいよ、といって僕らにリフト券をくれた。それで目的のスキーは無料でほとんど毎日できたし、夜にはみんなで騒いだ。人は忙しいほど遊ぶ時間を作り出すものだ。夜になると、真っ暗な厨房に忍び込み、僕らは決まって冷蔵庫の中のチーズケーキを盗んで食べた。こんなにおいしいものはこの世の中に再びないだろうと僕は思った。オーナーにはばれていたに決まっているのだけれど、僕らは甘えて盗み食いのスリルを楽しんだ。

タケちゃんとはその後会ったことがない。ルミちゃんは一度何かの折に広島の僕のもとを訪ねてきた。その頃僕は美鈴が丘という広島の郊外の見晴らしのいい住宅街に一軒家を借りており、行きつけの喫茶店が丘の近くにあった。美鈴が丘は安芸の宮島のほぼ対岸に位置していて、その店の窓からは夕凪を迎えた瀬戸内海の青い海をはさんで、暮れゆく前の赤い鳥居と宮島が近くに見えた。店の中には達郎の曲が聞こえた。僕があそこの景色にはとてもかなわないねと言うと、彼女は座りなおして僕に向かい、「あの景色は特別だから。私はしゅんさんはあそこに座ったままもうどこにも行かないんだろうと思ってた」と言った。

そうして30年以上が過ぎた。タケちゃんの顔も、ルミちゃんの顔もはるか記憶に薄れてしまうほど時が経ったのだけれど、僕は今でもあそこにじっとうずくまったままなのかもしれない。

ペンションアンデス元居候
永江俊一

http://www.translators.jp

 

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